見つけようとすると見つからない

今日のマコ

天職、運命の人、チャンス、人脈、金脈。
欲しいものって見つけようとして動いても見つからないことが多くないですか? それどころか見つけようと動けば動くほど全然望んでいないものにぶつかったり、騙されたり。そうやってグルグルしているうちに心身ともに消耗してしまって…もう私には無理なんだ、と絶望的な気分になったことありませんか?(笑)


なんで見つからないのか? それは

「見つけようとして動いているから」です。


天職や運命の人は今の自分では想像できないところにいます。

落とし物をしてしまって、見つからないとき。とんでもないところから出てくることがあります。
探しても見つからないのは自分の意識できる範囲が決まっているからです。逆にその人のことを何も知らない他人がいとも簡単に見つけてしまうことがあります。その人は探そうと思って見つけたのではありません。たまたま道に落ちていたから拾ったのです。そう、実は落としたものをカラスや猫が持ち運んで移動してしまう可能性だってありますよね。


これと同じで、自分では到底意識できない領域に運命の人や天職などの探し物はあるのです。



突然ですが、
あなたの天職は「清掃員です」、「普通のサラリーマンです」、「主婦です」と言われたらどう感じますか?

ここで、天職を求めていない人は何を言われても「ああそうですか。わかりました。」と、受け入れると思います。天職に対して何の価値観も持っていなければそうなります。

逆に天職を求めている人は自分がなりたくない職業を言われたら「それは私の天職じゃない」と拒絶すると
思います。天職を知りたいと求めていても自分の思うようなものが来なければ「それは違う!」と跳ね除けるでしょう。だから、いつまで経っても天職が見つからないのです。

その人の中に職業に対するジャッジがあって、そのジャッジってとっても狭い考え方の判断だから天職が見えてこない、見えていても認めないのです。


こういう人は、「運命の人」像や自分が欲している天職というものに対して自分の中で望んでいるイメージがなんとなくあるはずです。でもその望んでいるイメージって、生まれてきてから周りの大人や社会に植え付けられた価値観からできている場合がほとんどです。狭い世界での仮のイメージです。


清掃員でも、普通のサラリーマンや主婦でも、ものすごく楽しく仕事をしていて周りの人を幸せにしている人もいます。そんなふうに生きている人は天職につけている人ではないでしょうか?

要は職業なんてなんでもいいのです。まだ世の中にない職業なら自分で作ればいいし。


ここでは清掃員やサラリーマンをあえて出しましたが、嫌な職業として見ているわけではありません。一般的に人が抱くイメージの代表として出しました。
実際にはイケメンで生き生き楽しそうに仕事をしている清掃員のお兄いさんたちとすれ違うことがよくあります。そんな彼らを見ていると、私は朝から良い気分になります。それにお給料も悪くありません。


ま、そんな話は置いといて。


自分が今どんな仕事についていても、自分も周りも幸せにして暮らしている人は「天職」なんて発想が出てこないのです。すでに天職を全うしているからです。


現状に不満がある人だけが、「天職」を求めるのです。
天職なんかすぐに見つかります。今目の前でやっている仕事が自分の天職だと決めればいいだけです。
その天職にもきっと嫌なところはあって、それにその都度向き合って改善していく。そうしたら天職は形を変えるかもしれないし、新たな天職が出てくるかもしれない。天職なんて仕事と同じです。みんなすでに天職についているのに認めたくない人だけが「天職どこや!」と現実逃避しているのです。
(青い鳥症候群)


身も蓋もない現実的な話をしてしまいました。
そこでまた違った角度からお話させていただきます。


今の自分のままではダメだから
「天職」を見つけたい
「運命の人」を見つけたい
「金脈・人脈」を見つけたい

という不足・不満を動機にして動くと、見つからないどころか詐欺に遭います。
そうではなく、

「こうゆう世界って素敵!」
「こんなふうに活躍できたら楽しそうだなぁ」
「こういう人素敵だなぁ」

よし!私も何か始めよう。

このように、ピュアで楽しい気持ちだけで動いた場合、自分の想像では思い浮かばないようなルートで求めていた世界が目の前にやってくることがあります。それは、日々目の前の人生を自分の力で楽しく生きようとしている人だけにやってきます。

そして、やってきたチャンスはあくまでもチャンスです。訪れた現実をどう生かすかは自分の力でしかできないことです。巡り会えたラッキー!これでもう私の人生上がったー!とかぬか喜びして甘えてしまうと、あっとゆう間に元の人生に逆戻りです。


だから、自分が「今」訪れている現実をどう楽しくやっていくかでしか、天職や運命の人を定義することはできないと私は思っています。逆に天職や運命の人が見つからなくても、今を楽しく生きていられたらそんなことはどうでもいい話になると思います。



…結局また、同じ結論になりました。
要は、地に足つけて現実と向き合って、その中から喜びや楽しさを作っていけという話になります。
それは簡単なことではありません。天職や運命の人を求めて彷徨っていた方が楽な生き方です。(何も身にならないけど。)
でも、目の前の現実を認めて、そこから何か改善できるところを見つけ、楽しむ力を鍛えることができたら、人生はどんどん自分の望む方へ展開していくと思います。

とにかく自分の周りにある現実をしっかり認めて感謝して生きること。これにつきます。



天職や運命の人は見つけるんじゃなくて、自分で作っていくものです。
見つけようとするのではなく、作り出す!このマインドでやっていきましょう!



それでは今日はこの辺で。

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