幸せな時って全然映えない

今日のマコ

「あ、なんか今、幸せだなぁ〜」と感じる時って、部屋でスェット姿でソファでこれ以上だらけられないという姿勢でいるときに訪れたりします。あと道端で立派なカマキリを発見したときとか。ベビーシッターで子供と遊んでボロボロにやつれた帰り道に、季節の匂いを感じる風が吹いた瞬間とか。

もしこの幸せをSNSで共有するとしたら…全く映えないな、と思った時に、世の中の大半の幸せは人の目に触れることなく通り過ぎていくのだと感じました。

だから、思った以上にみんな幸せなんじゃないかな。
SNSを見ているとみんな充実していて幸せそうと思うかもしれないけど、私は全然、逆だと思うよ。みんな、わざわざ人に言わないだけで、家族や大切な人、一人であっても日々幸せに暮らしている人の方がSNS人口よりはるかに多いと思う。映えないだけで、言わないだけで、幸せな人は多い。

私が今どん底にいたら、その事実の方がショック(笑)
まだ発信してくれてればどんだけ幸せなのか想像ができるけど、言わないだけで幸せに日々生きてるって、ねぇ。羨ましいなぁってなりますよね。



だけど、幸せに条件は必要なくて、幸せに必要なことは「あぁ、なんか幸せだなぁ」と感じられる自分の感度の方。誰かが作った羨ましいと思う条件に気を取られていると、幸せを感じる感度が鈍ってしまう。どんな状況でも余計な思考が邪魔しなければ幸せを感じることはいつでもできる。これって、意識してコツを掴めば誰でもできること。


幸せにたくさん気がつくには、ありのままの現状と自分自身を肯定することが大事。望んだ人生でなかったとしても、「(今は)これでいいのだ」とバカボンのパパのように自分に言ってあげる。

少し気が抜けて、少しホッとします。

それで、これを繰り返し毎日言ってあげると、どんどん気が楽になり安心して、逆にやる気が出てきます。


楽しいことが起こるから楽しく生きられるんじゃなくて、
どんな状況でも受け入れて楽しさを見つけられる人だから、楽しく生きられる。

バカボンのパパってそんな感じしますよね。


それで、どん底の人。その人たちは今は幸せを感じられないかもしれない。「これでいいわけないだろ」って怒ると思う。でも、私はそれ自体幸せなことなのかもしれないと思っています。どん底だと思うくらいショックなことが起きたわけです。たくさんの感情を味わいます。良い感情じゃなくて、苦しくなるような、死にたくなるような感情。それを味わうことができるのはどん底に落ちないとできません。今はそう思えなくても、その苦しさが必ず自分の命を輝かせるために絶対必要な要素になってくる。それは、とても幸せなことなんです。


何不自由なく暮らしている人。側から見たら幸せだと思うけど、その人自身は幸せを感じる感度が薄いのです。望めば全て手に入る幸せだから、手応えがぼんやりしている。


淡くて明るい綺麗な色の中に同じような色を落としても気づきにくい。
暗くておどろおどろしい色の中に淡くて明るい綺麗な色を1滴落とすだけで、すごく目立つ。光って見えます。
闇がその1滴を光らせるために存在したのだと思わせるくらい光って見えると思う。

この、コントラストが強ければ強いほど、幸せを感じる感度は強いということ。


幸せに条件は関係なくて、幸せを感じる感度が大事です。どんな状況でも幸せを感じられる感度。どん底に落ちた人は幸せの感度が高い。苦しみという感情を味わったことで、あらゆるものを感じる器が大きくなっているから。大きくなった器の分だけ幸せをたくさん受け取れます。


映えても映えなくても、幸せは自分が生み出せるということです。
せっかく生まれたからには、体験を通していろんな感情を感じ、人生を味わい尽くしたいものです。



コメント

タイトルとURLをコピーしました