信頼する相手は自分だけで十分

感情


この人なら信頼できる、とか

信頼できる人が一人でもいれば幸せ、とか

聞いたり、言ったり、言われたりしますよね、私たち。

私も当たり前のように信頼できる人を求めて生きていました。でも、そんな思いは「がっかり」「失望」という形で終わることが多かったかな。主に恋人に対してなんですが(笑)


でもそれって私が自分の都合の良いように相手に期待して、自分の信じたいように信じたかっただけなんだなぁと思うのです。

相手の見えていなかった側面を見たときに、自分が思ってた相手と違う!と勝手に失望するのです。その人は最初からその人です。いろんな要素があるのです。自分にとって「ありえない」と思う相手の側面が見えた時、相手を否定するんじゃなくて、「この人はこんな要素もあったんだな」と受け止めることはとても勇気がいることです。だって、それを認めてしまったら相手を信頼することができなくなると思うからです。

でも、ここで気がついて欲しいのは、信頼って相手にするものじゃなくて、現実を受け止める自分を信頼するのだと思うんです。

自分にとって不都合な現実を知ってしまっても、
そこから逃げずにそれを認める。自分が受け入れ難いことを無理に受け入れろという話ではないです。相手の見えなかった部分を見た時に、その事実を認める勇気を持つ自分を信頼するんです。その上で自分はどういう選択をするのか、相手に変わってもらおうとするのではなく自分はどうしたいかを考える。相手から離れてもいいし、受け入れ難い部分も含めて相手と付き合っていってもいい。

相手を信頼することは難しい。でも相手のどんな部分も認めると決める自分を信頼することはできます。相手は自分の思うような人間じゃなくたっていいんです。自分の都合のいいように生きて欲しいなんてよく考えたら傲慢で支配的。でもいざ人と付き合うとみんな当たり前のようにこの考えを持ちます。そして、相手がそれにそぐわないと落胆し相手を責めるのです。

人は安心したいから相手に確かなもの、裏切らないものを求めて「信頼」という言葉を使うけど、それこそ都合が良い話ではないでしょうか。仕事だと裏切られたりしたら大変だから懲罰の法律があるけど、利害関係のない人間関係において「信頼」なんて水物だなと思うんです。

私は自分が人を信頼したいと思うくせに、自分が「信頼してる」と言われたら、ちょっと、「重いなぁ…」って感じてしまうかも。相手の期待を外して失望されても、困る。勝手に信頼して勝手に失望して好きにしなよ、となるでしょう。


だから信頼は相手にするんじゃなくて自分の選択に対してすればいいと思うのです。


信頼できる人がいたら幸せって思うかもしれないけど、人の心なんてコロコロ変わります。信頼が崩れて傷ついて、それを相手のせいにするのは苦しみしか生みません。どんなことが起きても「OK」と言える勇気を持つ自分を信じて、日々楽しく健やかに暮らしたいものです。

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