ここ数週間、怒りが続きました。
ブロバイダを変えてから
ネット回線がうまくいかなかったり、
カスタマーセンターとのやりとりで疲弊したり、
区役所の待ち時間の長さにイライラしたり、
仕事を頼んだ人とのコミュニケーションが
うまく取れなかったり。
とにかくイライラすることが立て続けに起きて、
極め付けは、前から来た道を譲らない女子にイラついて
私も退かずに意地悪になるという最悪な瞬間が訪れて…
あぁ、こりゃもうだめだな。
と、心底自分に落胆したのです。
体が疲れていたのかもしれないし
たまたま色々と切り替える時期で
そういった対応が続いたからかもしれません。
相手に対して
この人の態度嫌だな、、と感じることは
否定しなくていいと思うのですが、
必要以上に不快になる必要もないと思うのです
私の場合、必要以上にイライラしていると思っていて、
そしてそれが定期的に訪れるので、どうにかならないかと
悩んでいました。
「怒り」は二次感情
「怒り」は本音を隠すフェイクの感情
という話は聞いたことがあると思います。
私はこの理屈はそうだと思います。
「怒り」の前には一次感情があるのです。
問題が起きた時に感じる「困惑」だったり、
話をわかってもらえない「悔しさ」だったり、
誰も助けてくれなくて私はひとりぼっちだという「悲しさ」だったり、
この一次感情って自分が惨めでいたたまれなく感じるから
それが嫌で反射的に「怒り」で防衛しているのだと思います。
じゃあ、怒らないためには
一次感情をしっかり認めればいいのか。
それもそうですが、
物事が起きた時に出てしまう一次感情は
自分の思い込みや観念、つまり思考によって
生み出されます。
一次感情の前には
「自分の思考」
が居座っているというわけです。
話がややこしくなってきましたね。
頑張ってついてきてください。
つまり、
自分の思考が反応してしまうトリガー(きっかけ)が引かれれば
いくらでも「怒り」は生産されてしまうのです。
枝葉の怒りに対処してもキリがないのです。
大元の「思考」に働きかけないことには、
「怒りがコントロールできない」という問題の解決にはならないんです。
例えば、
「私は誰からも大切にされない」
という観念(思い)=思考があれば
何か起こった時にそこに結びつけます。
例に出すと、
「電話の態度が悪くて怒りが湧いた」とします。
電話に出た人は、「私」に対して態度が悪いわけではなく、
そういう態度の人という可能性もありますよね。
でも、
「私は誰からも大切にされない」
という観念を持っていると、相手の態度が
自分を傷つけるように捉えるのです。
そして、悲しみが疼き
「私を傷つける奴は許せない!」
という流れになって怒りを表現してしまうのです。
この観念がなかったら、
何も思わないか、
「なんか感じ悪い人だな。ハズレくじ引いたわ。」
くらいの感想で終了します。
怒りの出る幕はないのです。
このことから、自分の観念を知ることは
とても重要ではあります。
観念を知るには、一次感情に気づくこと。
電話の態度が悪くて、腹が立ったのは、
「自分を蔑ろにされたように感じて悲しかったからなんだ」
と気づくことで、「私は蔑ろにされるような人間」だと思っているのかな
と自分の観念(思考)にも気づくのです。
じゃあこの観念(思考)を変えればいいのか?
「私は誰からも大切にされる存在である」とか?
無理がありますね。
誰からも大切にされないと思っている自分を
誤魔化すことはできません。
それに本当に誰からも大切にされないことだって
万に一つ起こりうるかもしれない。(超悲しい)
じゃあ、どうするか?
「私は誰からも大切にされ…なくてもいい」
これに切り替えてみましょう。
誰からも大切にされないかもしれないけど、
私はそんな自分のことを大切にしよう。
という意思が大事です。
自分のことが嫌いでも好きでもどっちでもいいのですが、
どんな自分であっても大切にしようと決めればいいのです。
だって、誰も大切にしてくれないと思っているのなら、
他に自分を大切にする人は自分しかいません。
これだけは揺るぎない真実です。
そしてもっというと、
他人が自分を大切にしようがしまいが、
自分の幸せには関係ないというのが真理です。
これを認めるのは中々難しいところではありますが、
やっぱり真理なんですね。
それに、誰かが大切にしているかどうかなんてその人じゃないとわかりません。
いずれにしろ、誰かが自分を大切にしているかで
自分の存在を確認せずとも、自分は大切な存在だと「自分が」決めればいいんです。
「誰からも大切にされない」
って、すごく他人に大切にされたいんだなって思います。
誰かに大切にされれば幸せで安心できるって思うのは、
依存的な考えです。
もちろん大切にされないのは悲しいし、
大切にされたいって思うのは当たり前の思いです。
でも、誰かが自分を大切にしてくれなくて、不幸だ
と思うことは一生苦しむ考え方で、怒りを生み出す考え方です。
怒らないためにも、心が平安でいるためにも
「自分のことは自分が満たす」という自立心が大事です。
自分ができないことは他人もできません。
まずは自分が他人に求めていることを自分で実行する。
それはとても安心感が湧き、信頼という思いも生まれます。
そうやって心が自立すれば、観念から起こる「怒り」を表現することは減るでしょう。
はぁ、なんか頭を整理して、心で感じたことを
文章にするのは難しい。
ややこしくてごめんなさい、わかりづらいと思います。
私が感じたことを書きました。
それと、「怒り」についての攻略法について
まだ書きたいことがあるのですが、長くなるので
それは次回に書きますね。
それでは今日はこの辺で。
読んでくれてありがとうございます。
マコ
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