目の前の出来事をおもしろがれる人

今日のマコ

人生に満足している人を観察したときに、「物事を楽しむ力」があるかないかってかなり影響しているなぁと感じます。

先日とある出会いの場に参加した時の話です。(わたくしアラフォーだけど色々頑張って動き回っております!)
「良い出会いがあればいいな〜」「そろそろ恋人が欲しいな〜」という期待の元に集まる人々。お互いに良いなと思って連絡先を交換した人もいれば、周りの人とただ楽しく談笑する人もいて自由で楽しい会でした。恋人が欲しい!と思って参加したけど、実を結ばず残念な思いをした人もいるかもしれませんね。まぁ、それはしょうがない。次!次!

私は参加した人達の様子をなんとなく観察していたのですが、本音はどうあれ、みんなそれぞれ会話を楽しみながら過ごしている様子でした。そんな中、私は帰り際にある男性に「どうでしたか?」と尋ねたところその男性は「う〜ん、微妙…」と返答しました。

何が微妙なのかはわからなかったのですが、私はここで人生がうまく行く人と行かない人の違いを見た気がします。

この発言から分かったのは、この人は目の前の出来事を楽しめていないということです。何時間もいたのに最後の感想が「微妙」。そんなあなたの方が微みょ…おっとそんな私の感想は置いといて、今回はこの出来事をネタに「目の前の出来事をおもしろがれる人」は人生がうまくいくよというお話をしていきたいと思います。


こういうイベントは年齢やルックスやコミュ力がよほど魅力的な人でない限り、向こうから人が寄ってきてちやほやしてくれるということはありません。イケメンでコミュ力が高く、積極的に周りを楽しませていたのにも関わらず、相手が素っ気ない態度だったのなら「微妙」と発言してしまうのはわかります。いや、それでも人を楽しませる人はこの微妙な状況さえおもしろがれると思います。

いい年齢で見た目が良いわけでもない人ならこの発言はただの実力不足です。誰かに殴られたり悪口を言われたわけでもなく、無視されたわけでもないのに参加した会が楽しくないのは自分に楽しむ力がないだけです。そんな人はもちろん人を楽しませる力もありません。例えその会が「微妙だな」と思ったとしても、そのまま言うことで何か得るものありますか?それ聞いた人が楽しくなりますか?
「この会での自分の存在の微妙さがウケる!」と笑わせるくらいのことすればいいのにと思います。
その微妙な状況さえもおもしろがれれば、その時間は実のあるものになるのになぁと。もしかして、そういう意味を含んだ「微妙…w」だったのかな。
(←この男性、「どうでしたか?
」と聞かれたから素直に答えただけなのに、私にこんなネタにされてるなんて可哀想です。)


私はこういうイベントは参加者も積極的に場を盛り上げればいいんじゃない?と思うわけです。実際に、参加者の人たちの中には自分なりに場を盛り上げようとしてくれている人もいて、コミュニケーション能力が高いなぁと感心しました。そういう人は参加した人がどんな人であれ、自分で楽しい状況を作り出します。微妙だと思ってしまったのは、自分の期待していたものとは違ったからですよね。それだと、自分の望み通りのものを与えてもらえるまで満足しません。

人生がうまくいく人、人生の満足度が高い人たちというのは、誰かに楽しませてもらえるまで待つのではなく、ちょうど良いものが来るのを待つのではなく、どんな状況であれ自分から面白いポイントを見つけ、楽しむ力がある人たちなんです。


楽しむ力について思い出す話があります。
それは華道が誕生したきっかけのお話です。何もない小さな和室にいたお坊さんが唐物の器に一輪の花を刺したことが始まりです。(本当かどうかは定かではないですが)

私はこの話が大好きなのですが、自分なりにこう解釈しています。
ただの何もない部屋。何も面白みがない殺風景なただの部屋です。そこで唐物の器だけがポツンと飾られている。そこで坊さんは何の気なしにその器に庭で摘んだ一輪の花を活けてみた。すると、殺風景だった空間に面白味が出た。そこで坊さんは「無」から生み出すおもしろさの魅力にハマっていった。一輪の花が3本5本となり、進化していく。この遊びを知った人たちが自分もやりたいと、参加し始める。どんどんエスカレートしていく中で型(ルール)を作ることにした。いつの間にか「華道」という道ができていた。


私はこれが人生を楽しむ人の本質なのかな、と思うのです。
ここで、このお坊さんが「殺風景な部屋だな。つまらないな。」で終わらせていたら何も始まりません。このお坊さんはこの「無」の状況をどう楽しむか考えた先に華道というアイディアを得ました。たった一輪の花がものすごく大きな世界を作るきっかけになったのです。きっとこの人は与えられた状況が違っていても何かしらおもしろさを生み出し、楽しむことができるでしょう。


今回のイベントで私はこのことを思い出しました。
せっかく与えられた目の前の状況を楽しめない人は、どこに行っても満足する出会いには結びつきません。どこかにある理想の状況や相手を探し求めるよりも、まずは目の前の現実を120%楽しむ努力をする方が人生うまくいくと思います。


今までこの努力をしてこなかった人はこれから訓練が必要です。どんな現実も受け止めておもしろがる。このマインドでいきましょう。

私はベビーシッターをしているのでたくさんの子供たちを見ます。どんな子も小さい頃は無から楽しむ力が備わっています。お砂場でスコップひとつで何時間も遊べるのがその証拠です。飽きもせず何万回もごっこ遊びをやりたがるのも想像の中で楽しむ力があるからです。この力がない子供は一人もいません。だから、大人の私たちもできないはずはないのです。その感覚を思い出すだけ。


「目の前の現実を面白がる力」、
人生を楽しくうまくいかせたいのであれば、是非つけていただきたい能力です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました