役目のない自分に戻る時間

今日のマコ



みなさんそれぞれ抱えている役目があると思います。


私の場合は、
ベビーシッターをしているときの役目
家族といるときの役目
仕事で雑務を任されているときの役目
イラストの仕事を依頼されているときの役目
近所の人と交流しているときの役目

などです。


パートナーやお子さんがいる人は
母や父の役目、妻や夫の役目もありますね。


相手によって役目を変えます。

ベビーシッターをしているときは、
安心安全で我は出さずにサポートに徹する役目を担います。

イラストのお仕事の依頼を受けているときは、
相手の立場になって社会的なコミュニケーションができる役目を行います。

家族といるときは
家族に適した会話を意識して娘や叔母という役目を行います。


これは無理矢理、役目をやらされているわけではありません。
自分から自然とそうしているんです。
その方が社会生活を円滑で円満に進められるからです。


でも、そんな風に相手に合わせて役目をこなしていると
忘れてしまうことがあります。



それは、
役目のない無防備な自分を曝け出して
伸び伸び生きる時間
です。



これは何かに触れたとき、自分の心がキラキラしたり、ワクワクしたり、
ドキドキしたり、生き生きしたりしたときにハッと気がつくのです。


私の場合、この「何か」は
自然だったり、映画だったり、絵画だったりするのですが、
その中でも特に、
「自分」を看板にして作品作りをしている人を見たときに、
忘れていた心の扉が開くのです。


それと、
お金のこととか年齢のこととか、自分の能力だとか、
そういったもので自分を括ってしまって
ものすごく視野が狭くなっていたことに気付かせてもくれます。




平和な毎日を守るため、社会の一員として役目を担うことは嫌じゃないです。

姪っ子はすごく可愛い。
ベビーシッターをしている子供たちも本当に可愛い。
子供といるだけで愛情を感じられて幸せです。

家族も仕事もありがたい。
役目があることは幸せなことでもあります。



でもその前に私という人間は
何の役割もない状態の丸裸の自分が基盤にあります。



それは役目がこなせない自分です。
だらしないし、バカだし、無鉄砲だし、
無責任だし、怠惰だし、面白いし、非常識だし、
わがままで強欲で素直!


こんな自分で生きる時間だってとても大事です。


大人だってバカみたいに遊びたいし、
幼児みたいに駆け回ったり泳いだりしていいじゃないですか。


これは例えですが、
そんな時間が私には必要です。



みなさんは役目のない時間、持ててますか?


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