生きる意味がわからなくなったら、
そもそも生きることに意味なんてないことを知ってください。
生きる意味なんて考え始めるのは生命力が落ちているからです。
生まれたから生きる。
ただそれだけのことです。
すごく当たり前のことにいちいち絡んでいるのはエネルギーが落ちている証拠です。
生まれたから生きる。
ただ生きるのではなく、できるだけ楽しく生きる。
生きることに意味はないけど、どう生きるかは大事だと思います。
偉そうなことを言っていますが、
私は20代後半くらいからずっと感じていたことがありました。
それは、「どうして私が生きているんだろう」という思いです。
自然災害や事故で誰かが亡くなったニュースを見るたびに
「どうして私じゃないんだろう」と思っていました。
誰かの母親だったり、妻だったり、誰かの恋人だったり、誰かの大切な人が死んでいく。
必要とされている人が死んでしまって、誰かから必要とされていない私が、どうして生き残っているのかな、って本気で思っていました。
私がその思考にならない時は、一時的に恋人がいたり、仕事を任されたりしているときでした。
必要とされていないと、自分の存在意義がわからなかったのです。なんて、悲しい考え方なのかと思います。
恋人がいないから、パートナーがいないから、結婚してないから、子供がいないから、仕事がないから、お金がないから、健康じゃないから、望んだ人生になっていないから、だから生きる意味がないと決めつけます。
条件が揃わないと生きる意味がないと思っているんです。
私は10年くらいのほとんどの時間を一人ぼっちで生きていました。
真っ暗闇でいつも苦しかったのです。だから、誰かの大切な人になって早く生きる意味を見つけたかった。
認められる仕事を成し遂げて生きていていい実感が欲しかった。
だけど、この考えは大間違いです。
誰かや何かに生きる意味をもらうのではなく、自分が自分に生きる意味を与えるのです。
自分自身を表現して世界に喜んでもらう。
条件で心を満たすのではなく、誰かや何かを喜ばせることで心が満たされていきます。
大切にしてくれる人を探すのではなく、
大切したい、応援したい、と思える人にたくさん出会いましょう。
それは喜びに繋がり生きる意欲が湧いてきます。
認められる仕事を探すのではなく、自分を生かせることで役に立てば
どんな仕事にも喜びが生まれ、生きる意欲が湧いてきます。
新しく仕事を作ったっていいじゃないですか。
どんな状況であれ、自分が自分に生きる意味を与えることはできます。
人生に期待するのではなく、人生が私に期待しているものは何かを問うてみてください。
これはヴィクトール・フランクルという人の言葉です。
生きる意味がわからなくなったとき、私はこの言葉にハッとさせられました。
生きる意味がわからなくなるのは、人生に幸せを期待しているからだと気づきました。
そうではなく、人生を喜ばすために私のするべきことは何かなと考えたら
何も手に入れていないこの状態の私でいることが意味を持ち始めます。
生きる意味がわからなくなったら、何か条件に囚われていないか
誰かや何かをあてにしていないか、気づくタイミングなんだと思います。
そして、苦悩に飲み込まれ絶望しているとき
ヴィクトールフランクルのこの言葉を思い出してみてください。
あなたが人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することはない
どんな状況であれ、生かされているからには生きる意味があります。
それは待っていて訪れるものではなく、自分から見つけに行くものです。自分で作り出すものです。
それでは今日はこの辺で。
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