先日、千駄ヶ谷にある将棋会館に将棋を打ちに行って来ました。
まさか私が将棋を好きになるとは思いもしませんでした。
出会いは2年ほど前。ベビーシッターをしたときに男の子に教えてもらったことがきっかけです。
最初は将棋を覚えれば子供の相手ができると思ったのですが、やり始めるとどんどん楽しくなっていきました。ピヨ将棋というアプリゲームで対戦を積んでいたのですが、いざ男の子と将棋の対戦をすると惨敗するんです。
自分の進歩のなさにがっかりしました。
そんなある日、男の子のお母さんが「将棋会館」のことを話してくれました。
そこは初心者でも入ることができて、対戦相手は自分のレベルにあった人を係りの人が決めてくれるのだとか。
「行こう」
私は話を聞いた翌週にはもう行ってました。
その子のお母さんが一緒に行こうと言ってくれたのに、私はもう前のめりで将棋会館へ突入したのです。(ピンで)
そして、生まれて初めて対局をしたのですが…惨敗でした!!(笑)
駒の置き方も危ういし、うっかり失格技を出してしまうし、何よりも駒を指ではさむことができません( ◠‿◠ )
その度に対戦相手の方が親切に教えてくれるのです。相手は老若男女問わず色々な人と対戦しましたが、みなさんすごく親切でありがたかったです。
それにしても相手と将棋盤で対戦するのは、アプリゲームでやるのと大違い。
結果は全敗です。相手がハンデをつけてくれているのにもかかわらず(涙)
行ってみないとわからないことだらけで、私は益々将棋に興味が湧いたのです。
この時私は思ったことがあります。
もし私が大好きなパートナーがいて、望み通りの仕事を望み通りにしていたら将棋会館に行ったかな?と浮かんだのです。
将棋とパートナーと仕事に優劣はありません。ですが、大好きなパートナーがいて、仕事も満足している状態であるなら、将棋をやるスペースは空いていないと思ったのです。
ということは、「好きなこと」というのは、満ち足りたリア充の状態では発掘することができないのです。
さて、ここからが本題です。(前置き長っ!)
私は人生には表面と裏面があると思っています。
表面は、いわゆる世間的に評価を受ける面です。自分を評価する条件と言い換えてもいいです。
例えば、いくら稼げるとか、パートナーがいるとか結婚してるとか、子供がいるとか、こんな有名な仕事をしたとか。世間的に評価がされやすく条件で生きる世界が表面。
裏面は、なんの目的もないし、なんの生産性もないし、誰かから評価もされない面です。だけど自分は満足して喜んでいる世界です。無目的に無条件に楽しむ世界が裏面です。
鉄道が大好きで毎日見に行くことも、ザリガニ釣りのあの感覚を楽しむために公園に通うことも、一期一会の人に挨拶することも。旅なんかもそうですね。あと、家族のために美味しい料理を作ることもそうです。例え家族が気付いてなかったとしても!
現実では裏面の世界では生き続けることはできません。なぜなら生活を続けるには今のところお金が必要だからです。裏面でやっていることで生活するにはどこかでマネタイズする仕組みを作らなければなりません。それが偶然できることもあれば、自分で考えて作ることもあります。裏面でやっていることが、周りから評価され、もしくは評価されるくらい説得力を持ったものを提供できた時、お金が入るようになります。そしたら、裏面だったものが表面にひっくり返ります。
このように物事には表面と裏面が存在していると思っています。
そしてどちらか一方に偏ると生きづらくなると思います。
常識的に、世間的に、生活のため、と自分の欲求よりも周りからの評価を優先して安全圏で生き続けると、つまらない人生になるのです。もちろん、大好きなパートナーができて、好きな仕事ができて、充実して生きることは素晴らしいことです。存分に喜びを味わってほしいと思う。でも、その条件がなかったとしても自分が心から喜べるものや面白がれるものは存在していて、その存在があるからこそ世界を生きる価値があると私は思ってます。(お金持ちになったこともないし、結婚もしていない私が言っても説得力は弱いですが…でも本当にそう思う!)
裏面をちゃんと持っている人は表面にあまり左右されません。
何かなくなったとしても裏面からマネタイズしようと頭を働かせるでしょう。
そして裏面で得た無目的で無条件の喜びが自分に勇気や幸せを与えてくれるのです。これは世間や関わる相手に左右されない幸せです。裏面で満たされれば、表面も充実していきます。だって生きている人間は裏表同じ人間ですから(笑)
だから、今、仕事もパッとしなくて結婚はおろか恋人もいない人は裏面を充実させるチャンスです。
先ほども言いましたが、裏面でやることは無目的で無条件ででもやると自分が楽しくなること。そんな「好きなこと」を見つける時期だと思って、気楽にやっていただきたい。
裏も表もバランスです。たまにはどちらかに偏っていいし、その分どこかで帳尻が合うようになっています。そのバランスを取るためにも、表面に偏っている人は自分の価値観や世間的なものの見方は一旦脇に置いておく。裏面に偏っている人はお金を稼ぐために頭を使ったり、世間が喜ぶことを考えてみる。
それでは今日はこの辺で。
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