今、理想の人生とは程遠い生き方をしているとして。
望んでいない現実が目の前にあるとして。
ちょっと、考えてみる。
理想の人生を送りたいのはなぜか?って。
望んでいない現実って言うけど、何が嫌なのかな?って。
私の場合、
理想の現実は
大好きなパートナーがいて
子供がいて
庭付きの素敵な一軒家があって
お金に困らなくて
友達や知り合いもたくさんいて
私の名前で依頼されるような仕事があって
打ち合わせもたくさんあって
人もたくさん訪れに来て
健康で毎日楽しく暮らしている。
が、理想。
充実していて楽しそう!
パートナーと子供と一緒に
色々体験できるっていいな!
これは素直な感覚だけど、
いい歳して独身て、寂しいし惨めっていう
気持ちもなきにしもあらず。
この理想を眺めていると
「私って認められたいし
安心したいし
愛されたいんだな〜」
と感じます。
つまり、満ち足りた幸せを感じたいんですね。
そりゃそうです。
誰だってそうだと思います。
私の場合は、
そのためにはお金がいるし
家族が欲しいし、
誇れる仕事がしたい
と思っているんですね。
だから、どれも手に入っていない
今の現実が惨めで望まない現実になっている。
理想が望む人生なら
確かに今の現実は望まない人生です。
でも、
パートナー
子供
お金
仕事
友達
家
というのは外側の条件
とも言えます。
確かにこれらのことが
手に入ったらとても幸せです。
でも、本当に感じたいことは
「認められたいし
安心したいし
愛されたい」
ということですよね。
もっと言うと、
なんで安心したいのか
なんで認められたいのか
なんで愛されたいのか
それはその状態が心地良いからです。
存在を肯定されて、
安心して愛に包まれ
満ち足りた状態
これが本当に求めているものだとすると、
自分が掲げた理想の条件を満たさずとも
感じることはできると思うのです。
独身でも、したい仕事をやっていなくても
自分を認めて安心して、愛に包まれ
満ち足りた状態になることはできるんです。
その方法が、
「理想ではない現実を思い切り楽しむ」
ということなんですね。
今のその望まない現実の中で
どれだけ嬉しくて楽しいことを
見つけられるか
作り出せるか
どれだけ
「今日は良い日だったな〜」と
感謝して眠れるか。
この姿勢を取ると、不思議なんですが
誰かに愛されたいと思うことや
誰かに認められたいと思うことが
薄らぐんです。
理想とする人生で感じることを
味わっていることになります。
もちろん、今の時点では
パートナーといる時に感じること
我が子といるときに感じること
一軒家のマイホームで感じること
そういった具体的な体験はできないし
そういった限定的な幸せを体験することは
できない。
でも、「満ち足りた幸せな感じ」
を味わうことはできます。
だから、望んでいない人生こそ
大いに楽しむという姿勢を取ることです。
理想と程遠い現実を前に、
自分ができることはそれしかないのです。
もちろん、望んだ人生になるように
動くことは大事です。
でも、それ以上に大切なことは、
目の前の現実を
全力で楽しむという姿勢です。
手に入っていない理想ばかりに気を取られていると、
目の前の現実がどうでもよくなります。
それって、人生を生きていないのと同じです。
それではうまくいくはずありません。
そして、
条件が揃ったとしても
その人生を楽しくさせるのは自分自身なのです。
せっかくパートナーや子供、家
やりたい仕事が揃っても
嫌なことや不安なこと、退屈なことって
起こると思います。
条件は違えど、やることは同じです。
だったら今の自分の目の前の持ち駒(現実)を
全力で楽しむ方に賭けた方が、
1分でも早く幸せになれるんです。
その後、自分の人生がどう発展していく、
とても楽しみです。
それではみなさん良い1日を。
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