私はベビーシッターのお仕事もしているので
子供と触れ合う機会が多いです。
子供からはたくさんの貴重なことを
学ばせてもらっています。
(お金をもらっているのにすごくありがたいですよね)
そんな私ですが、子供と接していて
自分が発している言葉で気になることがあります。
それは
「ダメだよ」
「やめよう」
といった制限をかける言葉を
よく使っているなと思うのです。
例えば、
子供と雨上がりの公園に出かけた時、
水溜りがありました。
私は水溜りを避けるように言うのですが、
子供はなぜか水溜りに突き進んで行きます(;;)
普通のスニーカーです。
100%濡れる!
私は親の立場になったときに、
「明日保育園に履いて行く靴がなくなったら大変だ」とか
「服や靴を汚したら洗濯が大変だよな」とか
大人の都合を考えてしまい、
子供の行動にストップをかけてしまうことがあるのです。
「水溜りはダメ」と言うのですが、
健やかな子ほど言うことを聞きません( ◠‿◠ )
子供からしたら
明日履く靴のことなんかどうでもいいし、
服や靴が汚れようがそんなの知ったことではないのです。
それよりも
今この瞬間の情動に従って
全力で目の前のことを楽しんでいるのです。
本当に素晴らしいことです。
だから子供は健やかでキラキラしていて
いつも楽しそうなのです。
つまらない大人の事情で制限をかけてしまって
大事なキラキラをくすませる自分に
「つまんないやつだな」と思うのです。
何も気にしなくていいなら
ダメダメ言いたくない。
思う存分、水溜りで汚れて
楽しく満足してほしい。
他人を傷つけたり、本人に危険がある場合は
止めないといけない。
でもそれ以外ならもう自由にやってほしい。
そんなことを考えていたのですが、
これは実は大人にも言えることなのでは?
と思うのです。
その瞬間にパッと沸き起こる情動。
その瞬間すぐに動けばいいのに、
恐れや不安が湧き起こり、色々思考して
行動にまで移さないことが多いのではないでしょうか。
こんなことして何になるの。
今の仕事に支障が出る。
周りからなんて思われるか。
お金はどうするの。
怒られたら嫌だ。
などと不安と恐れの思考が頭に充満します。
そうして、大事な情動は消えて無くなってしまうのです。
それを繰り返すうちに
人生がつまらなくなってきて、行き詰まるのかな
と思うのです。
だからそんなときこそ
その瞬間の情動に従って
行動することが必要だなって思うのです。
なぜなら、パッと沸き起こる情動こそ
自分の素直な本質です。
本質で生きるほど人生は思うように展開していきます。
そして周りの人にもパワーを与えることができます。
情動からの行動は自分一人いればできることです。
誰かや何かをあてにしたり、
誰かを傷つけることは
いくら情動に従ってもうまくいきません。
海外に行きたくなったら
お金なくても、とりあえず動いてみる。
役者になりたくなったら
経験もコネもないけど、とりあえず情報を集めてみる。
プールで泳ぎたくなったら
体型気になるけど、とりあえず泳ぎに行く。
何かが揃うのを待たなくていいのです。
とにかく動かないことには
自分の望む人生は始まりません。
もし人生がつまらないと感じているのなら、
子供を見習って
たまには凝り固まった頭のネジを緩めて
みてはいかがでしょうか?
どうせ人生は1度きりです。
失敗したって笑われたって
すぐにみんな忘れます。
人はそんなに人に興味がないから(笑)
確かに後先考えずに情動に従ったら
苦労するようなことが起こるかもしれない。
でももう私たちは大人です。
大人は自分の人生に責任が取れます。
濡れたら新しい靴を用意しておけばいいように
その瞬間の情動を満たすためのフォローを
考えられるのが大人の良いところですよね。
子供のように情動に従い
大人として自分の行動のフォローを取りましょう。
(会社辞めることになっても食い扶持なんとか見つけるとか)
(お金なくなったらなんでもいいからとりあえず働くとか)
(結婚できなくても、離婚しても、自分を楽しませて暮らすとかね)
実は手放したものより
フォローで食い繋いでいるものの方に本質があったりします。
(抽象的でわかりずらいかな…)
それでは今日はこの辺で。
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