お酒を飲むと相手に本音が言えるという人がいます。私はお酒を飲んだ時に出る本音は本音じゃないと思っています。お酒が入ってないと言えないということは、普段から本音を我慢して言わない人です。
大人として、毎回思ったことをそのまま言ってたら衝突が起こりますよね。波風が立ちますよね。だから何でもかんでも本音を言う必要なんてありません。でも、お酒が入らないと本音が言えない人は、「ここは言うべき」という場面でも我慢する人です。大事なところで自分よりも他人の機嫌を優先するので、自分に対して失望していきます。
他人の機嫌を優先するのは周りのためを思ってではありません。人と波風を立てるのがめんどくさいからです。嫌われたくないし傷つきたくないからです。
本当に周りのためを思う人は言うべきときは言うし、言わない場合は自分が望んで周りを優先するので変な不満は溜まりません。
言うべき時に言えなかった不満や怒りが無意識に蓄積されて、アルコールが回った時に前頭前野の働き(理性)が弱くなり情動や本能的な部分が活発になるタイミングで放出されます。本人は酔っているので本音が言えたと思っていますが、蓄積された変な感情(長年の不満や怒り)が乗っかっている言葉なので、純粋な本音ではないのです。
本音なんてシンプルに感じたことをそのまま伝えればいいのに、自分にとって都合の良いフィルターをかけた発言を本音だと勘違いするのです。
”自分にとって都合の良いフィルター”とは、勝手に我慢したのは自分なのにそれを正当化するために「相手がわかってくれないから我慢せざるを得ない」という考え方です。相手のことを勝手に判断して勝手に我慢して勝手に怒りを溜めるんです。
喧嘩になってもいいから言えばいいのに。ダメになってもいいから言えばいいのに。それが恐いから(またはめんどくさいから)本音を言わずに、言わない理由を作るために相手や状況のせいにします。自分を被害者にします。そのスタンスで本音だと相手にぶつけたら、相手はその人から攻撃的で否定的な何かを受け取ります。人は言葉よりもそこに乗っかっている「念」に反応します。
本音を言っているようで実は無意識に攻撃しているので、相手はびっくりしたり、不快に感じたりするのです。
「それは嫌です」
「それはできません」
「そういう態度やめてもらえませんか」
その場で伝える本音はシンプルだから相手にも素直に響きます。
「あなたは素敵ですね」
「付き合って欲しいです」
「大好きです」
こんな本音はどんどん伝えた方がいいです。
例え相手から何の反応も返ってこなくても本音を勇気を出して言えたことで、その思いはきちんと消化されます。
相手から嫌われるのが怖くて、自分が傷つきたくなくて、思いを伝えない人は、その思いが燻って、酒の力を借りたとしても変な承認欲求みたいな念がついてきます。それと、まともな人は酒の席で言われる自分への好意は受け取りません。シラフのときに言えば?と思っています。
ここまで書いてきて、もう一つ伝えたいことがあります。
それは、シラフの時に本音を言えなかったとしても、自分の本音を自分が認めてあげればいいのです。
嫌だ!と認めた上で「でもやる」と決めるのと、
「嫌だけどやらないとやっていけない」と、相手や状況のせいにして諦めるのとでは雲泥の差があります。
前者も後者も状況は同じです。ですが決定的に違うのは、「嫌だ」と思うことを自分の意思でやると決めているのか、相手のせいにして仕方なくやらされていると思っているのか、主体性があるかないかです。
前者は生きる力が湧いてきます。後者は生きる力を失います。 この二つを分けるのが本音を自分がきちんと認めるというアクションになります。主体的に生きるにはとにかく自分の気持ちを誤魔化さないことが大事です。
そうすると、酒の席で伝える言葉も変わってきます。
「本当は嫌だった」
「本当は悲しかった」
「本当はこうして欲しかった」
という過去形で素直な気持ちを相手に伝えられるのです。相手に変わってもらおうとかわかって欲しいという思いは捨てるんです。ただシンプルにあの時の本音を言うだけ。それで別れが来ようが、わかってくれなかろうが、想いが伝わろうがそれは自分にはどうもできないことなので来たものを受け入れるだけでいいです。というか後から本音を言われても受け入れてくれない場合がほとんどです。だから相手にわかってもらおうとかではなく、自分の心のケジメのためにやればいいと思います。
傷つくことを恐れて本音に蓋をしなくていいんです。本音を無視すると傷つくことよりも大変なことになります。
私は酒乱とか、酒癖が悪いとか、酒が入った時がその人の本性と言う話は違うと思っています。
普段蓄積されている不満や怒り、不安や恐れなどの放出表現として酒が入った時に自分らしくない行動に出るんです。本性ってシラフの時に出るものです。サイコパスを見ればわかるでしょう。利己的に人を切る人を見ればわかるでしょう。彼らはシラフです。そしてそれが本性(の一面)です。
そんな私ですが、本音を言えずに失敗したことも本音を言い過ぎて失敗したこともあります。
自分が良かれと思って表現したことも、相手を深く傷つけてしまったこともあります。その度に反省して、考えて学んでいくのです。ロジックだけでうまくいくわけありません。何度も失敗して痛い思いもして「こうゆうことかな?」と試行錯誤していきます。
本音で生きることは時にエゴに偏ったりして現実的には大変なこともあります。私みたいな人間は逆に相手の立場になることを意識した方がいいです。本音を控えることも学ぼうと思います。(本音を言えと伝えてきて最後このオチ…)
それでは今日はこのへんで。
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