自分にしか関心がないとそうなる

心(頭)の話

先日、高速道路を走るペーパードライバー講習を受けてきました。
目的は釣りやら姪っ子とのキャンプやら行くために、高速道路に慣れておく必要があったからです。ペーパードライバーに近い私は、とにかく安全に高速道路を走れるようになることが必要だったのです。

このサービスは、講師が助手席に同乗して運転を見てくれのですが、担当で来た人は50代半ばくらいの男性でした。

往復で4時間近く車を走らせたのですが、少々しんどいことがありました。
教え方が厳しいとか、道で怖い思いをしたとかではありません。講師の男性は運転を丁寧に教えてくれました。じゃあ何がしんどかったのかというと、その男性の自分語りがしんどかったのです。

スタートからすでに嫌な予感がしていました。
「ブレーキは我慢して優しく踏んでください」と説明されたのですが、その際に「いいですか?女は我慢ですよ」とドヤった顔で言ってきたのです。どうやらその人の決まり文句らしく、その後何度か連呼されました。

私はなんで女が我慢なのか全く理解できずに「はぁ…」と乾いた返事をしながら光の速さで心のシャッターが閉まりました。これから3時間以上も狭い空間にこの男性と二人きりなのか、と考えると絶望的な気持ちになりました。誰が来るか選べない会社だったので、ハズレを引いた気分です。

嫌な予感は的中し、その後そのおじさんはことあるごとに自分語りを始めてきたのです。運転を教える時間よりもおっさんが自分のことを話す時間の方がはるかに多かったです。

私の目的は高速道路を安全に運転できるようになること、ただそれだけです。お金を払い、時間を作って来ています。それなのに、どうして講習とは関係のない死ぬほどどうでもいい知らないおっさんの自分語りを聞かされなきゃいけないのか。

その男性は「自分は」「自分は」「自分は」と、とにかく自分のことを知ってほしい、認めて欲しい、褒めて欲しい、そんな状態でした。その人が一度でも私に関心を向けていたら、今私がどんな気持ちでいるか察することができたと思います。(顔も声も死んでいたから)営業を30年やっていたから人を楽しませることが得意だと言っていたのですが、30年勘違いしたまま生きていた可能性があります。


さて、ここで今回の本題に入っていきましょう。ここまでが例題だと思ってください。

自分のことばかり話す人の心理

このことから言えるのは、「自分にしか関心が向かない人は、自分を認めていない人」ということです。
あれだけ自分のことを語っているのだから自分のことが大好きなはずなのですが、逆なのです。自分で自分のことが認められないと、周りに承認を求めるので自分語りが激しくなるのです。本当は自分に自信がない人なのです。

実は、このような人は老若男女問わずたくさんいます。目の前の相手を思いやる余裕もなく、自分の話ばかりしている人はかなり承認欲求が強くなっているので要注意です。

なぜ自分を認められないのか

世間や周りの人達の評価を元に自分の生き方を決めてしまうと、それが得られなくなった時に道に迷います。周りの価値観ばかりを軸にして生きていると、自分で自分が何を望んでいるのかがわからなくなってしまうのです。自分以外の何かに自分の価値を任せてしまった結果、ありのままの自分を認めることができなくなってしまうのです。

〇〇大学出身だから価値がある
〇〇会社に勤めているから価値がある
こんな仕事をしているから価値がある
誰かの妻だから、誰かの夫だから価値がある
〇〇をしているから価値がある

そんな風に条件で自分を測る人は周りから価値づけしてもらうことに必死で、他人に関心を持つ余裕なんてありません。

強すぎる承認欲求は自分を苦しめる

世間や周りの人達の評価を気にする人と言うのは、ある意味、社会的な関係を大事にする人だと思います。他者からの承認を得ることは、その社会でやっていくためには必要なことですよね。

承認欲求自体は悪いものではなく、人間なら自然に持ち合わせているものです。人から注目されたいという欲求は
活力にもなり、何かを始める時には良いきっかけを作ってくれます。

問題は強すぎる承認欲求です。そもそもその人のことを認める・認めないは相手の自由であって、自分から求めてどうにかさせるものではないですよね。いくらあなたが頑張っても相手がなんとも思わないことだってあります。そこに腹を立てたりするのは強すぎる承認欲求です。

強すぎる承認欲求は先ほどの例からもわかるように、弊害を生みます。相手と良い関係を築くことは難しくなり、自分を苦しめることになります。

誰も認めてくれなくても、自分だけは自分を認めてあげられる

そこで大事になるのが、自分の現実を受け入れてありのままの自分を認める勇気です。
自分に対する理想が高い人ほど現実を受け入れずにそれ以下でもそれ以上でもない自分を見ようとしません。
どんな自分でも等身大の自分を認める。現実をありのまま認める。それは辛いことかもしれないけれど、その現実からしか自分の喜びや幸せは見つかりません。ありのままの自分を受け入れるということは、自分で人生を楽しく創造するためのスタートになります。相手から100%承認をもらうことは難しくても、自分からの承認は自分次第で100%受け取れます。


車の運転が好きな人は、黙ってひたすら運転しています。わざわざ自分が運転好きなことをゴリ押ししてきません。教えることが好きな人は、どうしたら相手にわかりやすいように伝えられるか、相手の身になる教え方ができるかを考えます。そこに余計な自分語りなど挟みません。承認欲求が無ければ、相手に関心を向けられるのです。

どんな人生であれ、自分の人生は自分で肯定していきましょう。理想の人生でなくとも、現実を受け入れて楽しく過ごすことに集中すればいいだけです。その覚悟がないから、いつまでも相手から承認をもらおうとしつこく絡むのです。これは相手にとっては本当に迷惑なことで、エネルギーを奪う行為です。

周りの評価を気にしなければ、自分本来の良さにどんどん気がついていきます。その良さって、世間的な良さでなくていいんです。自分で自分のことを「私ってこんなところがあるんだな」と発見できて面白がることができれば、それは自分を肯定していることになります。自分を肯定できれば気持ちが安定します。そうすると、目の前の相手のことを思いやれる余裕が生まれます。自然に相手や社会と良い関係が築けていくのです。

YouTubeでも話しているので見てみてください^^


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