現実に対して「 YES」という姿勢

人生



現状が気に入らない、望まない状態のとき。「こんな人生嫌だ!」と、抵抗しますよね。それで、何とかしようと動いてみる。でもなかなか変わらない。変わらないどころか悪化しているようにすら感じる。そんな行き詰まった精神状態で「引き寄せ」とか「スピリチュアル」とか「自己啓発」という世界にたどり着く人も多いのではないでしょうか。

「現実は置いといて、良い気分でいることが大事」
「目の前のことに囚われずに良い気分でいれば現実は変わる」 

と聞き、カフェに行ったり、花を飾ったり、美味しいスイーツを買ったりして一時的に気分が明るくなることを実践します。確かにこのことは、嫌な現実から意識を逸らして
自分の心の状態を変えていくには良い方法だと思います。現実に囚われていてもその現実が変わることははないのですから、だったら他のことに意識を向けることは健全です。

だけど、しばらくするとまた元の嫌な状態に戻ってしまって、
「結局現実なんて変わらないじゃない」と、諦めてしまう。


もし、良い気分でいても現実が何も変わらないという人がいるなら、見落としていることがあります。



それは、

目の前の現実を肯定する力です。



良い気分でいるとなんで人生が変化するのか。
それは気持ちが少しでもリラックスすることで、今までの観念や価値観がほぐれていくからです。その柔らかくなってきた頭で目の前の現実を見たとき、思わぬ発見があったりするのです。
嫌だと思っていた現実の中から、小さな希望(自分が楽しめること)を見つけることができます。嫌だと思っていたことも意識が変化している自分の目線で見た時、そこに新たな可能性を見出すことがあります。

はたまた、今の現実は置いといて、これをやってみたい!というアイディアが浮かんできます。その時に行動に移すと、人生の軌道が変化します。


良い気分でいると現実が変わるという仕組みは、良い気分でいると自分の意識が変わり、現実の捉え方も変わってきて、望む人生へのチャンスに気づきやすくなるということです。視野が広がる、視点が高くなるとも言えますね。


だから、この目の前の嫌だと思っている現実を変えるために良い気分でいても現実は変わっていかないんです。
良い気分でいる本来の意味は、現実を変えるためではなく、自分の意識を変えて現実をよりよく生きるために行います。
自分の意識を変えた先に、何かに気づき、自分が楽しく生きれる世界へ向かっていきます。

現実に変わってもらうのではなく、自分が変わるという意識。
そして、意識を変えて気づいたチャンスやアイディアはどんどん行動にしていく。

きっとそんなことはわかってると思います。だけど、理解することと実践することは大きく異なります。実践して感じたこと、身につけたものこそが自分を救ってくれると思います。

私はこの現実を肯定する力が弱く、現実から逃げてばかりいました。だから成長も望む人生になるスピードも遅いのです。


そんな私が実感していることは、まずは目の前の現実を肯定して生きること。
しんどい現実であれ、望まない現実であれ、とりあえず「YES!」と肯定する。

嫌な現実から逃げていても疲弊するだけです。
今の自分の人生を「YES!」と受け止めて、その人生をユーモアに変えるほどの底力を見せた時、人生は開けていくと思っています。


私のおすすめの望まない現実の生き方があります。
それは、自分が求める理想の現実が逆にこっちを羨むくらい、今の現実を全力で楽しむということです。

例えば、私の望む人生は
「仕事は自分の名前でそこそこ売れて、年収2000万、3000万円くらいは安定して稼げていて、夫がいて子供がいて都内に戸建ての素敵なお家に住んでいて、友達や知人が遊びにくるような楽しい毎日を送っている」
だとします。

現実は
仕事はベビーシッターとか色々掛け持ち、不安定な収入、独身アラフォー、長年同じ賃貸(お世辞にも素敵とは言い難い)
です。

現実はかなり詰んでいる状態です。
ここで普通ならこの状態を変えるために、転職したり人脈を求めて動いたり、やりたくもない婚活をしたり
と動くと思います。もちろんそれは間違いじゃないしその結果良い出会いに恵まれることだってあります。
だけど、それだと一時的に変化は起きても、自分自身は変わっていないのでまた望まない現実を作り出すんです。(私はそうでした。)

本当の変化とは、自分がどんな現実も楽しめる力を身につけた時に訪れます。
だから、まずは「独身アラフォー仕事は不安定」という自分で堂々と生きることから始めるんです。
その場所でどれだけ面白い生き方ができるか、楽しく生きられるか、それを考えるんです。

 


二人の人が観客を前に生花をしています。
片方はたくさんの様々なお花や植物が揃えてあり、もう片方は雑草のようなパッとしない草が一種類だけ手元にあるとします。どちらか選んでと言われたら、ほとんどの人は迷わず前者のお花がたくさんある方を選びますよね。前者は十分な素材があるため、好きなように作りたい作品が作れます。後者は好きなように作品を作ることはできません。

二人が生花をやり始めました。
しばらくすると、見ていた観客から感心するようなざわめきが起きました。前者の人が素晴らしい作品を作ったのでしょうか? だけどその後に笑い声も聞こえてきました。

後者の人が一種類しかない草で、色々と表現していたのです。
花器にいろんなポーズで生けるのはもちろんのこと、自分が素材となって花器や草と一緒にポーズを取ったり、草を自分の体のどこかに取り付けたり、草を使ってお芝居を始めたりととにかく色々と表現し始めました。大喜利です。

生花のルールから外れていると評価されないので、生花としては前者の作品が賞を取ると思います。
でも、生花を楽しむという視点で見た時、後者も前者に劣らず様々なアイディアでその時間を満たしました。そして何より自分が夢中になって楽しむから見ている観客からも笑いが起こり楽しい気分にさせたのです。


この対決を見た後、豊かな草花と一種類しかない草、どちらで生花をするか聞かれたら
一種類しかない草を選ぶ人が出てくるかもしれません。


私は人生もこのように考えた方がいいと思っています。
誰だって条件が揃っている人生の方がいいに決まってます。惨めな思いをしなくていいし安心して楽しめる。
でも、それが揃わなかったとしても人生を楽しめないということにはならないんです。


外に安心や幸せを期待しないで、今の現実を全肯定してどうやって楽しい人生にするか、そこに意識を向ければ、人生の方が喜びます。生きる力はそうやってつけていくのだと思います。そして、本当の意味で生きる力をつけた人の現実はよりよくなっていくんです。


だからとにかく自分と自分の現状を肯定してあげること。
そこから自分の人生を作っていきましょう。


YouTubeでもお話してます(^ ^)







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