あっとゆうまに2021年になっておりました。みなさん、お正月はゆっくり過ごされましたか?
なんだか巷では、「風の時代」「二極化」というワードをよく耳にする年末でした。私がスピリチュアルや占いのyoutubeが好きだからかもしれませんが。……実はわたくし、この二つの言葉を聞いて窮屈さを感じておりました(汗)。占いもスピリチュアルも楽しんだり人生に勇気をもたらすのならいいのですが、不安を煽ったり、〇〇の時代は終わって〇〇の時代とかって、「なんか、器が狭いなぁ」と感じました。時代が変わろうが二極だか三極だか知らんけど人はちゃんと生きていける。2021年も生きていくだけです。いつの時代も幸せな人は幸せだし、どんな時代も時代のせいにする人はします。
さて、今日はそんな型にはめたように物事を決めなくてもいいとう思いでブログを書きたいと思います。あ、恋愛がテーマです!
私は恋人のことでしょっちゅう悩みます。人に相談すると、「どうでもいい相手だからめんどくさくなって切られたんだよ」とか「ただの遊びだよ」とか「若い子がいれば間違いなくそっちに行くよ」とか色々と言われます。深く傷つくし、信じたくないなぁと泣きました。なんとか希望のある回答が欲しいと思いました。でも、泣き切ったときにフッと諦めたんですね。何を諦めたかというと、自分の納得のいく答えをもらおうとするのを諦めました。すると、ズバッと言われた傷つく意見を全部肯定してみることができたのです。「ただの遊びでどうでもいい扱いをされて愛されてない」んだなぁ。と。シュール(笑)。
そりゃあ大切な人として愛されれば嬉しいけれど、彼が私を愛していなかったとしてもどうしようもなくない?と感じたのです。というか、それは愛されてないよ、とかそれは本当に愛されてるねとか、いちいちビクビクすることに心底嫌気がさしたのです。他人の見解や彼の本音に傷つくくらいなら、もう愛されてなくても、遊びでも本命じゃなくてもなんでもいいと思ったのです。そんなことより、「大好きだなぁ」という自分の相手に対する気持ちをもっと大事にすればよかった。
巷に流れる権威や説得力のある人のブログ、youtube、書籍などで恋愛の意見を聞いて、「愛されてなかったんだ…」とか傷ついたことはありませんか?私はそうでした。その時間、本当に無駄です。「自分はどうしたいか」だけが自分が考えることです。結婚したいなら結婚してくれる人を探せばいいし、結婚してくれない彼を愛し続けてもいい。誰とも結婚できなくても、好きな人に愛されなくても、「自分はどうしたいか」は自由に決められます。自分の世界はもっと自由でいいし、もっと優しくていい。もちろん、巷の意見を聞いて傷つくのも自由です。自分で決めていいのです。
そうやって自分の感覚で生きようとしていると、どんどん新しい自分が出てきます。自分の世界が広がっていく嬉しさを感じます。彼への執着も自然と減っていきます。好きな人や好きなことが周りに増えていきます。今年はそんな自由な意識の人たちとたくさん遊びたいなぁ。
みなさんはどんな世界を作りたいですか?
悩んでいる人は今までの考え方を超えていくことを意識してみてください 🙂
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