エネルギー泥棒

心(頭)の話

お金を払わずにお店から物を取ったら泥棒になりますよね。捕まって法律で罰せられます。

世の中には目に見えないものが存在します。例えば人の気持ちや時間。
その目に見えないものにも価値があるのだけど、見えないから泥棒している自覚がないまま奪っていく人たちがいます。

どうやって奪うかって、愚痴や自分語り、自慢話をすること。これらは相手の時間と気分を奪う行為です。不機嫌な人なんかも相手の気を使わせるので、エネルギー泥棒ですね。

友達同士でお互いが相手の話も聞いてあげるとか、他でお世話になっているとかなら等価交換ができています。

もし自分だけが話を聞いて欲しいなら相手のランチ代は出すなど相手のエネルギーがマイナスにならないようにするのがマナーだと思うのです。


私が苦痛なのは、逃げ場のないところで一方的にエネルギーを奪われる行為です。これは本当に辛い…。

私は哲学対話というものが好きなので、そういった会に参加することがあります。色んな人が参加されるのですが、一部の人が話している時、消耗している自分に気がつきました。エネルギーを奪われているなと感じたのです。

哲学対話はテーマを出し合って、一つのテーマに対して人の考えを聞いたり自分の考えを言う場です。自分以外の視点が持てるので私は話を聞いているだけでも楽しいなと思い参加しています。

でも、テーマを口実にして本質と関係のない自分語りや自分の不満を吐き出すための愚痴を言う人がいるのです。参加している人はその話を黙って聞き続けなければなりません。他の人はどう思っているかは知りませんが、私は気分が悪くなります。

私は自分の時間を使ってその会に参加しています。それはみんなと哲学対話を楽しみたいからです。知らない人と考えを交わせるのはなんて豊かな時間なんだろうと思います。

それなのに、誰かの愚痴や自分語りでその大切な時間が奪われることが辛い。時間が奪われるだけじゃく、そういった行為は相手の気力も奪います。愚痴や自分語りをしている人は参加費として運営をしている人には対価を払っているけれど、参加している人には何も支払っていません。愚痴や自分語りを聞かされている間、参加者の私は自分の時間とエネルギーを少なからず奪われている気持ちになるのです。

逃げ場がないところが厄介です。SNSやネットで自分語りや愚痴を言う分にはこちらも嫌なら見ないという選択ができます。自由があります。でも、哲学対話は現地に行って行います。嫌だからその場を離れることは簡単にできない状況です。

じゃあ行かなければいいかと思いますが、そのような一部の人の行為を除けば楽しいのです。


哲学対話という場を口実にして自分の承認欲求を周りの人にぶつけてくる行為はエネルギー泥棒です。

愚痴や自分語りなどはカウンセリングや愚痴聞きサービスでお金を払えば問題ではありません。自分の欲求に対してサービスをしてくれるところに対価を払っているのですから。


愚痴や自分語りをする根本的な原因は欲求不満だからです。
根底に自分や人生に対する不安や不満を抱えているのですが、自分でその問題に対処する力がないのです。自分で自分を安心させられない、肯定できないから周りから承認されて安心したいという心理が働きます。

だけど、周りの人は他人であなたのお母さんやお父さんではありません。欲求不満をぶつけられたら離れていきます。じゃあ、どうすればいいか。ありのままの自分(現実)を認めて目の前のことに自分ができる精一杯のことをするんです。小さな達成感が自分を肯定してくれます。そうしたら自分が黙っていても周りが勝手に認めてくれます。みんな他人に関心を向ける余裕ってそんなにないと思います。だから無理矢理認めてもらおうとすると嫌がられるのです。「エネルギーを奪わないで」って。


ところで、この記事も私の愚痴になるなぁとふと気がつきました。
じゃあ、愚痴にならずに不平不満を解消する方法は何かしら?と考えてみると…

そういう人たちにあだ名を付けるのはどうかな?と浮かびました。

「グチグチおばば」…得意技:不平不満を息継ぎなしで聞かせてくる
「アイ・マイ・ミーおじさん」…得意技:おじさんのおじさんによるおじさんのための自分語り


こうするとなんだかキャラクターみたいで可愛らしくすら思えてきそうです!
そういう特徴のある人たちなんだなと距離を取って自分をプロテクトしていこうっと。

嫌だなと思うことがあったらその気持ちは大事に認めて、表現する時は面白く加工して人前に出せばエネルギー泥棒にならずに済みます。ポイントは不安や不満などを抱えたまま吐き出さないことなのかな。


今日もマコカフェに来てくれてありがとうございます。

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