私はYouTubeを配信しているので、動画を視聴した人からコメントをいただくことがあります。そのコメントを読んでいるときに、「幸せな人」と「不幸な人」の違いに気がつきました。
私のチャンネルは「どん底」や「人生」についての動画がよく見られているので、その動画についてのコメントが多いんですね。テーマがテーマなだけに、ご自分の人生を嘆いているコメントもちらほら見受けられます。思いの丈を赤裸々にコメントされる方も多く、その中には周りに対する不平不満をぶちまけているものもありました。そんな一部のコメントに私は違和感を抱きつつ放っておいたのです。
そんなときに、あるコメントをもらいました。
どんなコメントだったかというと、その人は消えたい苦しいという精神的な病を患っていた方からのものでした。仕事を頑張り過ぎて心のバランスを崩してしまったと。生きていく気力がない中、なんとか自分にできることを一つでもして日課にしようと決めて動き出したことが書かれていました。そして最後はお世話になった主治医の方への感謝で終わっていました。
このコメントを読んだときに、私はあることに気がつきました。このコメントからは苦しい人生を誰かや何かのせいにした不平不満が何も書かれていなかったのです。このときに私は今までコメントに関して抱えていたモヤモヤした違和感の原因がわかったのです。
何かというと、違和感のあるコメントは「自分の人生がどん底なのを周りのせいにして不平不満しか言っていない」というものです。確かにみんなそれぞれ大変な状況はありますが、それを誰かや何かのせいにして恨み言をぶちまけて終わっている人と、苦しい中でも人のせいにせず自分なりに頑張って生きようとしている人ではその後の人生は雲泥の差が出てきます。「自分の人生がうまくいかないことを誰かのせいにしている」か「自分の人生を自分事として受け止めて対峙している」かの違いです。
私の動画は苦しいどん底で這うようにしてでも、自分の力で自分の人生を生き抜いていこうという思いを根幹にして発信しています。どん底にいることを誰かや何かのせいにして逃げ続けていればいいなんて発信していません。私の動画を自分の人生を放棄する都合の良い逃げ道にしないで欲しいなと思います。
会ったこともない人間のコメント欄に不平不満をぶちまけることが自分の人生にとって有益なことか、コメントを書く前に立ち止まって、考えて欲しいと思う。
世の中は不公平だと思うし、不遇にも見舞われると思います。だけど、誰かのせいにしたくなったとき、その怒りのエネルギーをしっかり抱いて自分のこれからの人生と対峙するパワーにしたとき、不平や不遇を逆手に取ることができます。自分の人生を受け入れて対峙していくんです。「自分 対 世の中」との戦いではなく、「自分 対 自分の人生」に対する戦いです。
せっかくどん底を味わっているのだから、自分を拡大する糧にして欲しいと思います。私のコメント欄で怒りを小出しにして大事なエネルギーを漏らさないで、そのエネルギーを自分の幸せな人生に生かす燃料に。
YouTubeでもお話しています^^
コメント