辛いときこそユーモアを使う

心(頭)の話


人生が辛いときこそ使うもの、それはユーモアです。

人生がしんどい時、苦しくて辛い気分でいっぱいだと思います。
しんどいことって人それぞれあると思うんです。
例えば、仕事がうまく行かない、パートナーとの関係が良くない、体の調子が悪いとか。
無気力で鬱っぽいのも辛いですよね。

そういったヘビーなものだけではく、生活していると日々些細なストレスが沸き起こるわ。

知人に言われた一言だったり、満員電車でのイライラだったり、気分が落ちることなんていくらでも出てくるな〜。

大なり小なり嫌なことは起こります。
辛いことに呑み込まれたら生きる力を削がれてしまいます。そのままにしていても人生が良くなることはありません。

だから意識してその辛いことに向き合う知恵が必要です。その知恵の一つが、「ユーモア」だと思います。


 

ユーモアとは

人間生活ににじみ出る、おかしみ。上品なしゃれ。人生の矛盾・滑稽(こっけい)等を、人間共通の弱点として寛大な態度でながめ楽しむ気持。

Oxford Languages

人を傷つけない上品なおかしみやしゃれ。知的なウイットや意志的な風刺に対してゆとりや寛大さを伴うもの。

精選版 日本国語大辞典

人間の行動その他の現実の事象に対してそれをおかしみの面からとらえ、表現しようとする精神態度、ないしはそこに表現された滑稽(こっけい)さそのものをさす。

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

何となくわかるようなわからないような…。日本だとボケや自虐ネタという感じでしょうか。
ユーモアとは、どんな現実も引いた視点で見て、自分に起きた現実をおもしろおかしく捉えて表現することだと思います。



例えば…

信頼していた人に裏切られたとき、

「こんなにも悲しいことを受け入れなければならないなんて。私のおちょこサイズの器が琵琶湖(滋賀県)くらいにはなってしまう」


会社をクビになったとき

「ク、クビ? …そんな…私の人生にまだこんなに大きなイベントが残っていたとは」

悩みが深刻なとき

「今世田谷区で私ほどどん底の人間はいない。区代表で都大会に出てもベスト3は狙えるほど深刻だ。だけど全国大会に出れるかと言われたら…自信はない」


など。
これはユーモアセンス0の私が捻り出した一例なので全然おもしろくはありません。ですが伝えたいことは、辛い時、ユーモアを考えることで苦しい現実から一瞬でも距離を置くことができるよ、ということなのです。

自分自身を笑のネタにすることで、現実の辛さに飲み込まれない心を作るのね


遊び心のない私でさえユーモアを考えようとすることはできます。練習が必要ですが、意識すれば誰にでも備わる知恵なんです。


ユーモアがいまいちピンと来ない人は、「ユーモア 名言」とかで検索してみてください。
何個か例を出しておきますね。

私の想像の翼は、閉じ込められても閉じ込められても、はばたき続けるの
ー アンネ・フランク ー

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である
ー チャールズ・チャップリン ー

もしプランAがうまく行かなくても大丈夫。アルファベットはあと25個もあるんだ。落ち着いて

ー 不明 ー

愛は盲目だが結婚は閉じた目をこれでもかと開いてくれる
ー 不明 ー


なぜユーモアが救いになるのか

先ほどの続きになりますが、ユーモアがなんで辛い状況の救いになるのか。
それは、辛いと感じる現実を己自ら笑い飛ばすことで、現実から起こる辛さや不安や恐れなどの苦しみに屈しない態度を取れるからです。現実に飲まれずに自分の気持ちと距離を取るということです
どうにもならない辛い現実を悲観して嘆き続けることもできます。ですが、それをし続けていても現実は変わりません。それどころかどんどん生命力は失われていきます。

辛い現実を変えられないとしても、その現実とどう向き合うかは自分が決められます。

現実に飲まれて病んでいくのか、ユーモアを持って心を守るのか。
同じ現実を味わうとしても、自分自身がどうあるかは選択できるし、その選択がこの先の未来を変えていくんだと思います。

 

ユーモアを武器に生き抜く

ユーモアで悩みが全て解決するわけでも、現実が変わるわけでもありません。
苦しい現実が一瞬で変わる魔法はないのです。
だけど人生は、どん底に陥ったときそんな苦しいときほど人格は磨かれていくのだと思います。
そして、そんな苦しく辛い人生が訪れてしまったとき、私たちには生き抜く武器としてユーモアが与えられていると思います。現実がどんな状況であれ、心を潤すことはできます。

苦しい現実で生み出したユーモアこそ、生きる希望そのものだと思います。


今回のブログでは、ヴィクトール・フランクルの言葉やチャップリンの記事を参考にしました。

二人とも過酷とは言い切れない悲惨な現実の中、ユーモアとともに生き抜いた人です。

人の真価が問われるのは何かを成したかではなく、どん底であってもどう生きたかです。
自分の尊厳を失わずに生きることほど尊いものはありません。尊厳とは、現実の苦しさに屈服せずどんな小さな喜びでも自分に与え続けることです。

自分の尊厳を守ってあげられるのは誰でもない自分しかいないのです。だから、自分というものは何よりも大切で何があっても見捨ててはだめなのです。

人生は望むと望まないとに関わらず、色々と起こります。現実や他人はコントロールできないけれど、その現実を前にどうあるかは自分が選択できます。自分がどうありたいか、それは誰にも奪えない唯一の自由です。

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