あの頃の思い出

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小学校3年生だったか
4年生だったかの頃。



校庭で一輪車を
スイスイ漕ぐ上級生の姿に
釘付けになったのが
きっかけだった。



「私もあれ乗ってみたい。」



そう思った。


授業が終わって、
学校が閉まるまで
毎日毎日一輪車の練習をした。


小学校は何台か
一輪車を貸し出していた。



夕方になると
校庭で遊んでいる子供は
どんどんいなくなる。


気がつくといつも
最後まで一人で練習していた。


そんな様子を見ていた
用務員のおじさんがいた。



私は知らなかったけど、
その用務員のおじさんが
母に、

「毎日毎日すごい練習している。」

「上達が早い。」


と感心していたそうだ。


私は全く他人が見えていなかった。


そんな風に私の練習を
見ていてくれる人が
いるなんて気がついていなかった。


多分、用務員のおじさんは
門を閉じる時間になっても
最後まで一人で練習しているから、
「一輪車の子」と覚えたんだと思う。



ある日、
一輪車のコツを掴んだ。


あの感覚、
すごく嬉しかった。


はじめは、手すりにつかまりながら
バランスを取ることで精一杯だったのが、


手すりを離して
ふた漕ぎ、さん漕ぎと
進めた。


すぐにバランスを崩して
地面に足をついてしまう
悔しさを何度も何度も
味わった。


だから、
スイスイ漕げた時の
風を切るあの気持ちの良い感覚は
「うわ〜〜〜〜」
って笑いたくなるようだった。


とにかくなんであんなに
夢中だったのかと思うくらい
一輪車を漕ぐことに集中している
時間だった。


誰も見てないし、
(用務員のおじさんは見ていてくれたけど知らなかった。)

一輪車が漕げたからと
いって何かある訳でもない。


ただただ
「一輪車に乗る」感覚だけを
追い求めた日々。



そしていつしか
一輪車に飽きて
忘れていった。





……。



……。



……。



そんなことをふと
思い出した。



一輪車を練習している時、
他人はもちろん見えてなかったけど、
自分さえも消えてたと思った。


意識してるのは
一輪車に乗って
漕ぎだす感覚だけ。


世界には誰もいない。
一輪車を漕ぐ感覚しかなかった(笑)



なんで今頃
そんな記憶が出てきたのかな
と思ったら、


今の私は、

「いい加減認められたい。」

「はやくフォロワー増やして誰かの目に留まりたい。」

「自分が作ったものでお金を稼ぎたい。」


ってそればかり。


楽しくて始めたイラストが
自己実現のための「ノルマ」
みたいになってる。
と思った。



用務員のおじさんが
感心してくれたのは、


無目的に
自分さえも消えるくらい
一輪車に夢中になってる私の姿に
心が動いたんだと思う。


今の私のやってることは
お金を稼ぐという目的のため。
評価されたい。認められたい。
幸せになりたい。(笑)


こんな外にばかり
意識がいっている
私の生み出すものに
一体誰が心を止めて
くれるんだろう。


そんなことをふと思った。



目的や他人からの評価、
そんな自分のエゴを剥がして
いったら、本当は何も
やりたくないんじゃないのかな。


それともあの頃のように
無目的の「やりたいこと」
が出てくるのかな。



深呼吸して、
ちょっと観察してみようと
思います。😌


















 

 

 

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